不思議な話

この話は不思議な出来事だったなぁ、という個人的な思い出話であって、怪談話とかではありません。実の祖母の話ですし、怖いとかそういう話ではないです。

いちおう断っておくと、僕自身は幽霊とかその類の物はほとんど信じていません。
ただ「魂」みたいなものは昔から信じていて、人は肉体が死んでも精神や魂みたいな物は消えないのではないかなぁ、、と。なんとなくですが、そんなふうに考えています。

祖母が亡くなった日も、もしかすると祖母と大叔母(祖母の妹)の魂はどこかで存在し続けているのではないかなぁ、と思うことが何度もありました。

実の祖母が亡くなった日

これを書いているのは2019年の3月です。先月、2月の13日、唐突に母方の祖母が亡くなりました。

祖母は僕が独立したばかりの頃、突然実家に戻ってきて毎晩遅くまで仕事をしていた時期、何も言わずにいつも笑顔で見守ってくれた心の支えのような存在です。

当時は仕事以外のことは何も考えられないような状態で、猪突猛進というか、「仕事さえしっかりやっていれば後はどうだっていいだろう」というような、(今考えるとかなり)病んでいたと思います。

そんな僕に対して、認知症の初期にあった祖母は、いつも無邪気というか、なんの気兼ねもせず満面の笑みで出し抜けに話かけてくれます。
当時は実家で猫を飼っていて、夜遅くに仕事から帰ってくると祖母と猫がストーブの前に鎮座していて、「あら、おかえりなさい」と微笑んでくれる。
思い返すと、当時心のバランスを崩さずにいられたのは、祖母(と猫)の作り出す、あの緩く暖かな雰囲気のお陰だったのではないかと思います。

祖母の元気がなくなった時期

実家を出て4年ほどが経った頃、認知症だけでなく、足が悪く自分で歩けないことや、喘息(ぜんそく)の持病もあった祖母は、実家の近くにある介護施設に移ります。
晩年は認知症が進み、僕や僕の妻、2歳の娘がお見舞いに行っても、誰だか思い出せないほどでした。

思い出せないけど、僕の顔を見ると嬉しいらしく、いつも笑顔で出迎えてくれます。若干の認知症と歩くのが難しいということを除いては、とても調子の良かった祖母。
施設の生活をとても楽しんでいたようで、手芸で作った刺繍を僕にくれたりしていました。

祖母の容態が急変したのは、2019年2月。祖母が誰よりも仲良くしていた大叔母(祖母の妹)が亡くなる直前からでした。

大叔母(おおおば)の急逝

大叔母も、祖母に似て気さくでよく喋る女性で、「おばあちゃん」と言われる年齢になってからも、旅行会社のツアーに参加したり、祖母と一緒に温泉街のホテルに宿泊するような人でした。
2人は頻繁に日程を調整して、旅行や買い物に出掛けていました。

僕が幼かった頃も、この2人が旅行に出掛けて豪遊していた記憶が残っています。

残念ながら、祖母が施設に入ってから2人で出かける機会は1度だけしかなかったようです。
祖母の88歳の米寿祝いに、母が付き添い、大叔母の元を訪ね、昔のようにデパートを歩き、食事を共にしたそうです。

成人して、住み慣れた場所を離れた大叔母を常に気遣い、会えることをいつも楽しみにしていた2人。死に際に会うことができなかったのは、それはもう、本当に寂しかっただろうことは僕にも想像できました。

そんな大叔母が急死したのは、2019年2月10日。知らせを聞いた僕の母が、バタバタと大叔母の住む隣県まで泊まりがけで葬式に出掛けていきます。

不思議なことに、祖母の容態が急変したのも、全く同じ時期でした。

それまでよく喋り、大きな声で笑っていた祖母でしたが、突然、嘘のように元気がなくなり、ベットから起き上がることさえ難しくなってしまいます。

祖母の急変を実感したのは、2月9日。ちょうど大叔母の葬式に出掛けた母が、何かを察知して僕の携帯に電話をくれたのです。

「もう長くないかもしれない。お見舞いに行ってあげて。」

それまで、数ヶ月に1度くらいは祖母を訪ねていました。しかし2018年の後半からは、新しい仕事が忙しく、祖母の顔を見に行く機会が減っていました。

2月9日のその日も、結局は妻に言われ、ようやく腰を上げるような具合。「まさか、あの元気な祖母がそんなに早く亡くなるわけが無いだろう」と思っていたので、実際に祖母に会ってみて愕然とします。

ベットに横たわった祖母は、ほとんど喋る元気もなく、かろうじで僕の顔を見て微笑んだことが分かりましたが、上半身を起こすことさえできなくなっていました。

どこまでも一緒だった祖母と大叔母

大叔母が亡くなった3日後。あれだけ離れていた2人ですが、まるで連れ添って行くように、祖母は施設で息を引き取りました。2月13日の朝です。
苦しむようなことはほとんどなく、少し息苦しそうに呼吸をした後、静かに眠ったそうです。

祖母には大叔母の容態が急変したことや亡くなったことは告げられていませんでした。それでも、まるで追いかけるように容態が急変し、あとを追うように亡くなった祖母を見ていると、不思議な気持ちになります。

お通夜の夜、母から祖母が亡くなった日のことを詳しく聞きました。

大叔母の死期が近づいたのと同じ時期、祖母の体調は急変します。施設の職員から知らせを聞いた母は、毎日施設に通い詰めていたそうです。
しかしその後、祖母の体調は徐々に回復し、元気な様子を見せるようになります。

2月12日の夕方、大叔母の葬式から戻った母は、祖母の様子を見るために施設を訪ねます。僕が祖母に会った3日後のこと。
母は、大叔母の葬式で祭壇に飾ってあった花を包み、祖母の枕元に置いてあげたそうです。その日の夜、祖母は枕元に花を置いたまま、翌朝静かに息を引き取ります。

まるで、大叔母の葬式から戻った母を確認し、大叔母に手を引かれていくようにこの世を去ったように見えました。

お通夜に話したこと

祖母のお通夜の夜、大叔母の息子にあたる叔父達の表情は、少しも寂しそうではありませんでした。みんな口々に言っていたのは、

「大叔母が祖母を連れて行ったんだろうね。あの2人は仲が良かったから。」
「祖母が一緒なら、大叔母も寂しくないだろう。」

母の言葉をそのまま書くと、

「大叔母が呼んだのよ。『いつまでもそっちにいないで、一緒にこっちでゆっくりしよう』って。大叔母が一緒なら、祖母も寂しくないだろうから、安心したわ。」

通夜の夜、疲れ切った母は自宅に戻り、僕と父が祖母の棺の前で眠りました。
ビールの入った紙コップを手に持った父が、実感の籠った声で

「生きていると、こういう不思議なことがたまにあるんだよ。普通では考えられないけどね。あるもんなんだよ。」

と呟いていました。

2月9日、生きている祖母に最後に会った日は、しばらく会いに行かなかった申し訳無さと、もしかしたらもう祖母に会えないような予感がして、祖母の手を握りました。
僕が誰なのかは思い出せないようでしたが、ベットに横たわったまま、なにも言わずに僕の目を見て、優しく微笑んでいたことを覚えています。

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